踏んだり蹴ったり・・・

こんにちは。
弁護士の安谷屋です。

法律の世界で判断の基準となるものは、(広い意味での)法律のほかに、判例があります。
戦前の大審院時代から、膨大な数の判例、裁判例が積み重なって、現在の法律論が形成されてきたわけですが、今回は、星の数ほど(?)ある判例、裁判例の中から、私の好きな判例を紹介したいと思います。

最高裁判所昭和27年2月19日判決
【事案の概要】
当事者は、結婚して約10年の夫婦。
夫が不貞をして外に女性を作り、子どもまで生ませたため、妻は嫉妬のあまり、夫に暴言を吐いたり髪を引っ張るなどの行為に及んだところ、夫は家を出て、妻に対して離婚を請求した。

判旨は、掲載すると長いのですが、最高裁の判決文自体が私は好きなので、ぜひ、(お時間があれば)読んでいただきたいと思います。
少しでも読みやすいように、改行(だけ)しました。
上告人=夫
被上告人=妻

【判旨】
「論旨では本件は新民法七七〇条一項五号にいう婚姻関係を継続し難い重大な事由ある場合に該当するというけれども、原審の認定した事実によれば、婚姻関係を継続し難いのは上告人が妻たる被上告人を差し置いて他に情婦を有するからである。上告人さえ情婦との関係を解消し、よき夫として被上告人のもとに帰り来るならば、何時でも夫婦関係は円満に継続し得べき筈である。即ち上告人の意思如何にかかることであつて、かくの如きは未だ以て前記法条にいう「婚姻を継続し難い重大な事由」に該当するものということは出来ない。(論旨では被上告人の行き過ぎ行為を云為するけれども、原審の認定によれば、被上告人の行き過ぎは全く嫉妬の為めであるから、嫉妬の原因さえ消滅すればそれも直ちに無くなるものと見ることが出来る)

上告人は上告人の感情は既に上告人の意思を以てしても、如何ともすることが出来ないものであるというかも知れないけれども、それも所詮は上告人の我侭である。
結局上告人が勝手に情婦を持ち、その為め最早被上告人とは同棲出来ないから、これを追い出すということに帰着するのであつて、もしかかる請求が是認されるならば、被上告人は全く俗にいう踏んだり蹴たりである。法はかくの如き不徳義勝手気侭を許すものではない。道徳を守り、不徳義を許さないことが法の最重要な職分である。総て法はこの趣旨において解釈されなければならない。

論旨では上告人の情婦の地位を云為するけれども、同人の不幸は自ら招けるものといわなければならない。妻ある男と通じてその妻を追い出し、自ら取つて代らんとするが如きは始めから間違つて居る、或は男に欺された同情すべきものであるかも知れないけれども少なくとも過失は免れない。その為め正当の妻たる被上告人を犠牲にすることは許されない。
戦後に多く見られる男女関係の余りの無軌道は患うべきものがある。本訴の如き請求が法の認める処なりとして当裁判所において是認されるならば右の無軌道に拍車をかける結果を招致する虞が多分にある。
論旨では裁判は実益が無ければならないというが、本訴の如き請求が猥りに許されるならば実益どころか実害あるものといわなければならない。

所論上告人と情婦との間に生れた子は全く気の毒である、しかし、その不幸は両親の責任である。両親において十分その責を感じて出来るだけその償を為し、不幸を軽減するに努力しなければならない。子供は気の毒であるけれども、その為め被上告人の犠牲において本訴請求を是認することは出来ない。

前記民法の規定は相手方に有責行為のあることを要件とするものでないことは認めるけれども、さりとて前記の様な不徳義、得手勝手の請求を許すものではない。原判決は用語において異る処があるけれども結局本判決と同趣旨に出たもので、その終局の判断は相当であり論旨は総て理由なきに帰する。」

裁判官の熱い気持ちが伝わってくると思いませんか?
私は、ロースクール時代にこの判例を勉強したとき、感動したのを覚えています。

不貞をされた上に離婚されるという状況を「踏んだり蹴たり」と的確に表現した、「踏んだり蹴たり判決」と呼ばれる名判決(と私は思っている)で、この精神は、多少の変化はあるものの、現在でも受け継がれています。

以上、長くなってすみません。

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